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2.1 資料とは何か

プレゼンテーションのトピックが決まっても、その中身、内容がなければプレゼンテーションはできません。その中身を広く「資料」と呼ぶことにしましょう。資料というと本や論文、または発掘などの野外調査で得た現物や実験データなどを思い浮かべるかもしれません。さらにここでは、自分の知識や経験なども含め、プレゼンテーションの内容を作り上げる中身の情報や現物すべてを含めて考えることにします。こういったものを「データ」や「根拠」と呼ぶこともあります。

「地球は温暖化している」と言ったら聴衆はそのまま受け入れてくれるでしょうか。十数年前だと、本当かなと疑われたかもしれません。現在では定説になっているようでもありますが、用心深い聴衆なら、根拠を示してほしい、どの程度暖かくなっているか数字によって示してほしい、と思うでしょう。

プレゼンテーションにおいて(というより、どんなコミュニケーション場面においても)自分が何か言ったら、「どうして?なぜ?」という疑問に答えられなければなりません。短いプレゼンテーションの時間内にすべての主張に根拠を提示することはできません。それでも、準備段階においては、広く根拠を準備し、根拠に基づいた主張を組み立てることは重要です。また、準備した根拠は、「なぜ?」と問われたときに答える役にも立ちます。主張に資料を添えるというのは、論証の根拠となるものだけではなく、具体例を示すことによって主張自体をわかりやすくする役割もあります。感動を呼ぶ物語もまた、広い意味で資料です。

すべての主張に資料がいるのでしょうか。すべての主張には何らかの根拠がある、という意味ではそうです。ただし、多くの場合、発表者と聴衆が共有している知識や価値観がありますから、すべての主張に根拠を示す必要はありませんし、すべきでもありません。ここで大切になるのは、聴衆と共有している知識は何かということです。はっきりとわかる場合は、明示すべき資料、省略しても構わない資料というのが、すぐにわかります。多くの場合、はっきりとはわからなかったり、聴衆の知識が多様であったりしますから、安全策をとって、聴衆が知らない可能性を重視したほうがいいでしょう。また、十分な資料を提示することによって、発表者が発表内容についてよく知っている、よく調べている、という印象を与え、発表者としての信頼性も増すでしょう。

本章の各節では、プレゼンテーションで使われる可能性のある資料を、大きく3 つ、自分の知識経験、文献資料、独自調査資料、に分けて説明します。それぞれについて、よりよい資料を得て提示するために、入手方法と資料の質の検証方法を解説します。資料の質の検証は、発表者が自分の資料の質を向上させる基準になるだけではなく、聴衆にとっても、発表者の提示する内容を鵜呑みにせずに批判する能力や態度を養う基にもなります。「批判する」というのは、攻撃的な否定的な意味ではなく、積極的、建設的な意味においてです。こういった批判的能力(Critical Thinking Ability)は情報が氾濫し、だれでもインターネットを通じて世界中に情報発信できる現代社会において必須の能力です。情報の受け手としては、不確かな(もしくは全く嘘の)情報から自分を守るために必要ですし、情報の送り手としても、不正確な(もしくは間違った)情報を発信(独自の発信や他の情報の受け売り)してしまわないために必要な能力です。

資料や情報の信憑性を検証するには、一般的に次のような点に注目するといいでしょう。

(1)外的整合性。 相互に矛盾する資料があると、どちらかもしくは両方が間違っているのではないかという疑いが生じます。

(2)内的整合性。 一つの資料や発言の中で一貫性がなかったり矛盾があると、その資料の質を疑ったほうがいいでしょう。

(3)出典の信頼性。 出典はわかっていますか。誰が書いたのでしょうか、どのような本や雑誌に出版されたのでしょうか。出典は権威あるものでしょうか、新しいでしょうか、中立でしょうか、等々。歴史的事件の記録などはその時点に近い資料のほうが良い場合もあります。

(4)統計の検証。調査方法は適切だったでしょうか、標本の数は十分あったでしょうか、抽出方法は適切だったでしょうか、質問の仕方は適切で、誘導的だったりしなかったでしょうか、等々。

(5 )専門家の検証。多くのトピックに必要な情報は、それぞれの専門分野の専門家の意見に頼らなければならないことがしばしばあります。そういった「専門家」は本当に発言している事柄の権威者でしょうか、偏見はないでしょうか、意見には結論だけではなく、その理由も述べられているでしょうか、等々に注意するといいでしょう。たとえば、原子力発電問題についてプレゼンテーションをするときに、映画監督の発言は「専門家」としての重みはありません。電力会社の技術者は原子力発電の専門家かもしれませんが、「原子力発電所は安全だ」という発言は利害関係による偏見があるかもしれません。逆に「原子力発電は危険だ」という内部告発的発言は、自分の利害に反してでも発言せざるを得ない内容として、重視することができるかもしれません。それでもさらに、内部告発の動機が、純粋に安全性に対する不安や社会的責任感によるものか、それとも、発電所内部でイジメに遭っていたことへの報復ではないか、といった可能性も考慮する必要があるかもしれません。